2014-07-31

NYで学ぶということ/中間まとめ/グラフィックデザイン学科専攻のNIREさん(VIP2013年卒)

お久しぶりです。
夏休み、1カ月強、日本に帰国していました。
日本食が恋しかったのも大いにあるのですが笑、日本のデザイン・美意識を再確認したいという気持ちが募っていたので、1年ぶりに。
というのも、私の作品は、そんなつもりは全然なくても「すごく日本っぽい!」と言われることが多く、自分が思った以上に日本人のセンスを持っているんだな、と感じていたからです。


日本の地下鉄。帰って最初の感想は「うわあ、アジア人しかいない…」「みんな服の色が地味」「行儀がいい」というものでした。

NYの地下鉄は汚いし、まず時刻表すらないので、日本の便利さを実感します。
当たり前のものが本当にありがたいものだと気付きます。






日本で、NYでの1年の経験をあたらめて振り返り、本当に留学して良かったなあと実感したのですが、その理由はNYという土地のパワーに拠るところが大きいように感じます。

そこで今回はNYで学ぶ、ということをまとめてみます。

私はvantanに入る前、編集者として5年間仕事をしていましたが、将来はフリーランスになりたくてキャリアについて考えている時期でした。
日本で大学院に行く?なども選択肢にあったのですが、今思うのは、とにかく日本から出てよかった、ということ。日本にいたらどんな状況になっても「右も左もわからない」なんてことはない。仕事もそこそこなんでも出来るようになってきて、日常に飽きてきていた。未知に飛び込み、世界を広げたかったのです。
それには、世界中のどこよりNYがぴったりだったんじゃないかと思います。













世界中の人と出会える街
NYは世界で一番「集まっては去って行く」場所だと思うんです。
マンハッタンは、磁石のように世界中から人を引き寄せる不思議な力があるようです。
だから、よくこの人とこのタイミングで出会えたな、と思う奇跡がたくさん起きます。
留学生が多いので、韓国人とも中国人ともブラジル人ともカナダ人ともロシア人とも、NYで友達になれる。
これは他のところに留学するのとは比にならないバラエティの豊かさです。
日本にいたら一生すれ違うことのない人と向いあって食事をし、その友人の母国までもを身近に感じ、いつかそこに行こうと未来を思い描く。そういう時空を超えられるpreciousな出会いが人生を輝かしくしてくれます。



 

ロンドンの大学に通っているロシア人のアリオナは去年1学期間だけパーソンズに留学。カラーセオリーのクラスが1つ一緒だっただけの縁だけど、ロンドンに帰ったあともNY再訪時に連絡をくれ再会。
このあと5年後にロンドンで再会!とか10年後にモスクワで再会!になるかもしれない出会い、未来が楽しみになります。

みんな目的があってNYに来ている人達ばかりなので、小さな出会いも大きくなっていきます。街が素敵というよりは、街に集まってくる人達との出会いがamazingです。


日本とは違う教育・主体的であることの大事さ
教育の仕方についても、日本とは違うWesternの教育を体験できたのはおもしろい経験でした。パーソンズでいうと、プロセスを大事にするなど、特徴は様々にあるのですが、たぶん西欧の教育全体として日本と大きく違うのは「中心にある自分」への意識なんじゃないかと。授業では正しい正しくないではなく「君はどう思うの?」ということをよく聞かれます。日本人は間違ったことを言いたくないので黙ってしまいがちなんですが、「自分がどう感じるか」でいいのです。

授業で高校生とコラボをするということで高校へ行ったとき、授業でシェイクスピアのハムレットを扱っていたのですが、授業の名前が「国語」とかじゃなく「文学と私」みたいな名前でびっくりしました。内容もシェイクスピアはどういう意図で書いたのか、とかそういうことではなく「君はこの物語の中で誰に近い?」というようなことを話していていました。
ヒストリーの先生がよく「Use your eyes!」と言ってたのですが、自分の作品も「これで本当にいいのかな?」とか、名作といわれるデザインも「なぜこれがすばらいいのかな?」と自分で答えを出して行くうちに自分のオリジナリティが確立されていく。ユニークであることを大事にする文化の中で学ぶのは、自分の視点や強み・意思(将来どういうことをしたいか)を具体的に考える時にとてもいいと思います。

あと先生の立場が違います。もちろん生徒とある程度距離をもち威厳を大切にするいかにもProfessorという人もいますが、もっと距離の近い、フレンドリーな先生が多いです。



私のメンター・トム先生が「授業がおもしろくないと思ったら出て行っていい。君にとっておもしろいものを追求していくのが学ぶということだよ」と言っていたのは印象的でした。



学ぶという行為が受動的ではなく、主体的に意志を持ってすることとされています。



出る杭を引き上げてくれる素晴らしさもあります。みんなしっかり自分があるから、人と比べることが日本より少ない。その人の個性・才能を素直に讃える傾向がある気がします。

私は日本の教育の良さもあると思っているので、アメリカの方がいい!というつもりではないですが、長期スパンの「学ぶ」ということに対して寛大な部分がとても素敵だと思っています。(年齢も関係ないですし)


英語。わからないからいい
言語の壁は厚く、高いです。私にとっては特にスピーキングは今も大変で1年経ってもこんなもんかあ、と思います。でも案外わからないからいい、っていう部分もあるんだな、と気付きました。

言葉は難しいので、母国語でも意味不明だったり、全く真意が掴めない時ってあります。そういうとき、母国語だったら言葉の表面だけ捕らえてスルーしてしまいがちなんですが、英語だと輪をかけてわからないので、引っかかって後から何度も考えたりします。そうすると授業で先生が言っていたことでも、案外ネイティブの人達が聞き逃していた部分の真意がわかっていたりとか、そこでたとえ誤解したとしてもよく考えた分、どこかでいい結果に繋がったりします。咀嚼が大事です。

わからないと、印象にのこるんですよね。そしてその効力は、すぐ分かる時より長続きする。不思議ですね。


外にいることで日本に興味がわく
想像に優しいでしょうが、一度日本のスタンダードを離れると、日本がどんなに変でおもしろいか、実感できます。アメリカ中心の地図でみると日本は本当に端っこにある小さな国なのに、結構な存在感です。

私が離れてから感じているのは、日本の土地は温かい。地熱があってポカポカしていて温泉みたい。人も温泉にはいってるように温かくて優しくて、至れり尽くせりで、ちょっとのぼせて、安心しきってる(平和)…といったかんじです(とてもいい意味です)。また湿度も独特です。気候だけでなく人間関係や文化も。うるおいにもなり得るし、カビも生えうる部分です。


さて最初に書いたように、今回の帰国には、日本の美学を確かめるという目的がありました。

NYで勉強していても、デザインにおいて日本はある種特権的な立場にいるなと感じます。スイスやオランダ、イタリアがデザイン大国として認識されてるのと同じように日本もとても美的に優れた国だと思われています。
History of Graphic Design の授業でも1週使って日本のデザインをやりました。こういう風に取り上げられているのはアジアでは日本のみです。

まとめてしまいますが、日本の美学について自分なりに得た答えは、日本の美の根本は、簡素・清潔・シンプル・機能的・素材を生かす(片付いている、手入れがされている、足るを知る、適材適所)ということだなあと。あと量より質、というのもあるかも(アメリカは完全に質より量だとおもう…)。


日本では九州や京都・奈良、東京に旅行し、寺社仏閣を回りました。その最中に読んでいたのがデザイナーの原研哉さんの書いた「日本のデザイン」という本。特に日本の簡素の美を表した例として出てきた銀閣寺にも行きました。とにかく掃除が行き届いていることからくる美が圧倒的。

お茶のお手前でも野草1本からその季節を想像させて場をつくる美意識。あえて足りない状態にしておく、とか、負を愛でる、といった美意識は他にないおもしろい部分だと思います。



また具体的に今現在の日本のグラフィックデザインでいうと、質感(和紙を使ったり、わざとラフな印刷にしたり、「ぬくもり」を感じさせる等)にこだわったものが多く、動的なものより静的なもの、ほっこり&ユルい(コレは本当に日本独特!)ものが多いと思いました。かなり独特の進化をとげています。


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うまく言い尽くせないのですが、NYに来て、知らない世界に接することで、世の中おもしろいことはいっぱいあるなあ!と数えきれないほどの好奇心を刺激され、これだけ知りたいことや行きたい場所があれば人生に飽きずに済みそう、と思えたのが、本当に本当によかったです。


今回は大きいテーマですこし漠然としましたが、NY生活の中間報告ということで!